山梨県の名産とその歴史
- writetutoringschoo
- 2025年12月5日
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ライト学習塾教室長の吉矢です。
ライト学習塾のある山梨県の名産品と言えば何でしょうか?色々ありますが、全国的に有名なものと言えばブドウ、モモなどの果実、食べ物ではかぼちゃの入ったほうとう、富士吉田のうどんなどが有名ですね。お土産としては信玄餅も全国区です。そして画像にある『煮貝』。
ん?待ってください。海なし県山梨でアワビ・・・採れませんよ?
大丈夫。『煮貝』はちゃんと山梨県の名産品です。貝と言っていますが、実際にはアワビのことを指します。もう終売となってしまいましたが、以前は小淵沢の駅で駅弁として売られていたこともあるんですよ。でも、なぜ海のない山梨、甲斐で海の生き物のアワビが売られているのでしょうか?
(ここからは教室長の想像(妄想)の部分も含まれます)
煮貝は江戸時代には既に甲斐(当時の山梨)の名産だったそうです。近くの駿河湾で採れたアワビを醤油漬けにして、馬でエッチラホッチラ山梨まで運ぶと馬の振動でアワビに良い感じに醤油の味がしみ込んでおいしく食べられたそうです。甲府市内にあるお店で古いところだと1584年創業だそうです。
ん?1584年は・・・そうまだ江戸時代ではありません。覚えやすい年号だと、江戸時代が始まる直前の関ケ原の戦いが1600年。ちなみに織田信長が亡くなった本能寺の変が1582年ですので1584年は豊臣秀吉が頑張っていた時代になります。当時の甲斐は本能寺の変の後に起こった天正壬午の乱の後始末で徳川家康の勢力下にあった時ですね。つまりその頃には『煮貝』というものが既に山梨にあったのではないでしょうか?
では、山梨に煮貝を持ち込んだのは誰なのでしょうか?徳川家康の前は?武田勝頼、そして武田信玄が甲斐を治めていた大名になりますね。その武田信玄が甲斐(山梨)・信濃(長野)から新たに駿河(静岡県の中央)に侵攻し占領したのが1569年と言われています。
実は戦国時代の武将たちにとってアワビはとても重要な役割がありました。出陣前の式典のようなもので「アワビ・クリ・コンブ」を食べることで戦いの勝利を願っていたのです。正確には「打ちアワビ、勝ち栗、昆布」で、それぞれ「打って出て、勝ちをあげ、よろこんぶ」・・・親父ギャグかよと言いたくなりますが、命を懸けた戦いに少しでも縁起が良いものを、と言うことでとても大切な儀式でした。
ここでの打ちアワビは、薄く切ったあわびをたたいて(打って)薄く延ばして干したものだそうで、それ自体は海の無い山梨でも手に入れることは可能でしょう。一方、武田信玄は「敵に塩を送る」のことわざでも有名な通り、海が無いことで苦労したこともあり、どうしても海のあるところを欲していた可能性があります。当時の駿河は元々武田信玄と縁戚関係を結んだ同盟国の今川氏が治めていたところです。でも、桶狭間の戦いで弱った今川氏に対して同盟を破って攻め落としています。
それが1569年。武田信玄はどうしても欲しかった海を前にしてどう感じたのでしょうか?そして、干したアワビくらいしか食べれなかった信玄が生のアワビを食べたであろうことも想像してしまいますね。そしてそのアワビを食べた甲斐の武将たちは自分の家のある甲斐の人たちにもおいしいアワビを食べて欲しいと願ったのではないでしょうか?
そして試行錯誤しておいしいままのアワビを山梨に運ぶ方法を考えて今の『煮貝』が出来たと思うと少し感動してしまいますね。
でも、ちょっと待って。醤油の原型は味噌を作る時のヒシオ(醤)からであって、たまり醤油のようなものは確かに当時関西の方であったのですが、関東で今の濃い口醤油が生まれるのは江戸時代の中期なんです。と言うことは「煮貝」の姿は1600年頃と今のものとは全く違う様子だった可能性が高いですね。
お高いですが、アワビは生でも、似ても、干しても、焼いてもどのように調理してもおいしいですし、食感が大きく変わり、味にも変化があります。今の煮貝を食べてみながら、江戸、安土桃山時代の煮貝を想像してみても面白いかもしれませんね。
ライト学習塾教室長 吉矢武司



